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ノート

鍼と文章のあいだ

やわらかい光の室内

長鍼の本をつくるとき、いちばん大切にしたのは華やかな文章より位置でした。筋と経穴、家庭でできるストレッチが一目でわかるよう写真を重ねました。学生や臨床初期の仲間が、手を置く場所を間違えないでほしいと願ったからです。安全と効果は、結局、正確な位置感覚から始まると考えていました。

長鍼は深く入るぶん、気をつけることも多い。ですからあの本の半分は、実のところ「してはいけないこと」の本になりました。避けるべき構造がどこにあるのか、角度が少しずれると何に当たるのか。安全を先に書いておくと、残された場所ではむしろ迷いなく手を使えます。

編集では文を削る作業を多くしました。美しい表現より、実際に従える指示が残るように。QRでつながる動作動画、モデル写真の上の解剖レイヤー、短い注意事項。本を閉じたあとも手が覚えている形をつくりたかった。文章が知識の列挙で終わらず、臨床の現場の手になること。

自分で絵を描き始めたのも、その頃からです。写真だけでは皮膚の下が見えず、文章だけでは角度が定まらない。線を何本か重ねると、その二つが同時に解けることが多かった。上手な絵より、迷わない絵を目標にしました。

若者向けの健康書も同じでした。用語を減らし、からだの信号を自分で読めるよう助けたかった。「ここが痛い」という感覚を怖がりすぎず、暮らしのなかで解釈できる言葉として渡すこと。診療室外の文章は、診療室内の説明を長く残す方法であり、家族がまた開いて読める説明書でもあります。

その本を書きながら気づいたことがあります。子どもたちはからだについて驚くほど知りたがっているのに、尋ねられる場所がほとんどないということ。生理や成長痛、姿勢、睡眠、体重といった話題は特にそうです。恥ずかしくない口調で正確な情報を渡すだけで、助けになることが多くありました。

外国人患者から学んだこともあります。効果は国境を越えられても、安心できる説明には言語が要ります。同じ治療でも、期待や感覚の表し方が違うことがあります。だからこそ簡単で正確な言葉が必要で、その訓練がいまの記録の習慣につながりました。この場を韓国語とともに英語・中国語・日本語で開いている理由も同じです。

論文を書いた経験も同じ場所に置かれています。2022年に呼吸器系疾患に対する鍼治療の効果と機序を扱う考察をまとめながら、根拠を扱う言葉がどれほど慎重であるべきかを学びました。確かなことと、まだ分からないことを分けて話す訓練であり、診療室でもその区別を守りたいと思っています。

鍼がからだに触れる瞬間と、文章が読者に触れる瞬間は、私に似た緊張を与えます。深すぎても浅すぎてもいけません。過剰な修辞も、足りない安定も毒になります。適度な深さと方向、そして相手が受け取れる速度。その感覚を守りたいと思います。

書くことには、鍼にはない難しさもあります。診療室では相手の表情を見ながら言い直せますが、文章はひとりで届きます。だから何度も読み返します。この一文は、痛みのなかにいる人の前でも失礼ではないか、怖がらせないか、大げさではないか。

書かないと決めたものもあります。ある治療を万能のように語る文、ひとりの経験を皆の結果のように移す文、不安を利用する文。書けるのに書かない一覧が長くなるほど、文章は長く残ると信じています。

これからの診療の場でも同じ態度を保ちたい。鍼はからだに、文章は日常に、絵は理解に触れるように。三つが別々の仕事ではなく、ひとつのケアとして読まれることを願っています。